坂井 寛子さん 女子ソフトボール日本代表(太陽誘電) 石川県出身

オリンピックの夢を、次の世代へ。現役復帰にソフトボール復活をかける。
目標が消えた子どもたちのためにできること。それが現役復帰だった。

 アテネオリンピックの後、引退したときは、辞めることに迷いはありませんでした。というのも、その4年前、シドニーでは最終選考で代表落ち。悔しさをバネに、自分がすごく成長できた実感があったから。周囲から「もったいない」とも言われましたが、また4年間、北京に向けてがんばるには、相当な覚悟が必要だったんです。「じゃあ、やります」と軽く言うには、代表というポジションはあまりにも責任の重いものでした。
 それでも現役に復帰したのは、引退後に始めたソフトボール教室で出会った、たくさんの子どもたちのため。今の子たちは、オリンピックを見て、憧れてソフトボールを始めた世代。アテネの銅メダルを見せて、「私たちはこれしか取れなかったけど、みんなは将来、金メダルを取って私に見せてね」と。私よりも子どもたちのほうが金メダルに近いだろうという期待もありました。
 ところが、ソフトボールがオリンピック競技からなくなることが決まり、目標が消えた子どもたちはすごく肩を落としちゃって。その姿を見たとき、自分が北京に出てできることがあるのでは、と思ったんです。

みんなの思いがなければ、金メダルなんてなかったかも。

 ソフトボールが種目外になる一因といわれるのが、3大会連覇中だったアメリカの一強体制。だったら、アメリカだけじゃない、他の国だって勝てるんだ、ソフトボールはこんなに面白いんだって、アピールすればいい。私たちが世界一になることで、今がんばっている子どもたちの将来に、またオリンピックの舞台が復活するかもしれない。その舞台をつくってあげることが、私の使命だと思ったんです。
 オリンピックという舞台は、その雰囲気も重みも独特。そんな最高の場に立てるのは本当に一握りの人間だけですが、そこには多くの人たちの支えがあります。オリンピック競技になる前からコツコツと土台を築いてくれた先輩たち、代表選考会まで同じ目標に向かって戦ってきた仲間、そしてこれからを担う子どもたち、家族や応援してくれる人たち…みんなの気持ちや夢、そういうものを全部背負って戦ってきた。その力がなければ、私たちが頂点に立つことはなかったと思えるほどです。力をくれた子どもたちのためにも、この夢の舞台がなくならないでほしいと願っています。

引退してこそ知った、トップ選手に必要なこと。

 2年間引退していたことが、選手としてのブランクだとは思いません。たくさんの人たちや違う世界に触れて、周りのいろんな人の思いに気づくことができたから。
 グローブやウェアだって、何百人もの人の手を経て私たちが使わせてもらっているもの。当時スポーツ用品メーカーに勤務し、ボールやグローブの一つひとつが手縫いされているのを見たときはショックでした。「あぁ、自分はこの人たちの苦労を何もわかってなかった」って。もっと早く気づいていれば、もっとすばらしい選手になれていただろうなって、心から思いました。
 最近、「昔よりよくしゃべるようになったね」っていわれるんです。アテネのときは自分のことしか見えてなくて、ちょっと一匹狼っぽいところがあったと思います。でも、2年間の社会経験でずいぶん社交的になったかな。

今の私は“たまたま”の産物。それも石川県民らしさかな。

 北京後まもなく行われた日本リーグの福井大会は、私の地元ということで多くのお客さんに来ていただきました。近く富山でもソフトボール講習会の予定があるんですが、石川はまだチャンスがなくて。私、生まれは福井ですけど6歳から金沢で過ごしたので、自分では金沢人だと思っているんですよね。だから早く行きたいんだけどな…石川県さん、ぜひ私を呼んでください(笑)。ま、そういうのんびりしたところも石川っぽくて好きですけどね。
 出身高校には、オリンピック前に挨拶に行きました。ソフトボール部? 強くないですよ。中学の先生には基礎を教わりましたが、高校ではまったく(笑)。でも、ときどき講習会に行かせてもらい、そこで出会った先生が社会人への道を勧めてくださって。私、本当にたまたまソフトボールに出会って、たまたま続けていたらこうなっちゃった感じで…。たぶん、すごく出会い運がいいんでしょうね、感謝しています。

自分だけでなく子どもたちの夢のために戦った北京は、坂井さんにとっては一つの通過点。引退の二文字も今は無縁です。「東京オリンピックが実現すれば、ソフトボールが復活する可能性が高いから」と招致イベントに参加するなど、着々と歩を進めているようでした。

PROFILE
さかい ひろこ
1978年、石川県金沢市出身(生まれは福井県福井市)。97年戸田中央総合病院に入り、チームの1部昇格に貢献。04年アテネ五輪で銅メダル。その後引退するも、アテネでバッテリーを組んだ山路典子・現監督に請われ、太陽誘電で現役に復帰。北京五輪で金メダル。
太陽誘電(株)http://www.ty-top.com

北京オリンピックの金メダル。今回、初めての試みとして、メダルに翡翠を埋め込んだデザインが採用されている。「結構傷がついてると思いますよ、あっちこっちでコンコン当てちゃってるし!」(坂井さん)

取材こぼれ話
 「リレーの選手にもなれなかった寛子ちゃんが、オリンピック選手になるなんて!」小学校時代の担任の先生がそういって驚くほど。坂井さんは運動がむしろ苦手な子どもだったそうです。「私、ほんとに運動神経がなくて。今でも腕立て伏せとか逆上がりとか、絶対できないですから」。え?オリンピック選手といえば、ハードなトレーニングをこなしていて、当然何十回の筋トレとか…。「そう。私はできないから膝立伏せとか、『おまえ、その辺で斜め懸垂してこい』って追い払われています(笑)」。これはなんとも意外なお話。「ただ、たまたま出会ったポジションが自分にハマっただけ」。どうやら、坂井さんの“たまたま”(=出会い運の良さ)は、それ自体が独自の才能のようです…。
 「でも反射神経がないので、ピッチャーライナーも取れない。確実に抜けます。だから、こっちに飛んでこない投球を極めているんです。ちゃんとコントロールできれば、打球は自分のところに飛んでこないので。運動神経がないなりに、これでも考えているんですよ(笑)」。その謙遜の陰に、世界を制した類い希な努力とテクニックがあることは、言うまでもありません。

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